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プログラムノート(第370回定期演奏会)
2024-02-13
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
芥川也寸志(1925~1989)交響管弦楽のための音楽
作曲:1950年
初演:1950年3月東京、日比谷公会堂 近衛秀麿指揮日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)

 小太鼓、ファゴット、トランペット、コントラバス、オーボエを交えた冒頭から、明晰な響きを身上としたモダニスト芥川也寸志の美学がいっぱいだ。小気味よく親しみやすい楽想が舞い、プロコフィエフやショスタコーヴィチの筆致に通じるユーモアや少しシニカルな味わいも添えられている。
 芥川也寸志は短2度など狭い音程の行き来を愛でた。いっぽうオーボエ属のイングリッシュホルンが紡ぐノスタルジックな調べも素晴らしい。そしてシンバルの一撃で開始される曲の後半、アレグロの攻撃的な推進性に驚く。

 1983年から1989年1月に召されるまで宮城フィルハーモニー管弦楽団(仙台フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を務めた芥川若き日の肖像が開演を寿ぐ。当初は交響二章と題されていた出世作のひとつ「交響管弦楽のための音楽」─Music for Symphony Orchestraを高関健のタクト、仙台フィルで聴ける私たちは幸せだ。

 文豪芥川龍之介の三男として生まれ、幼少の頃からSPレコードでロシア/ソヴィエトのバレエ音楽などに親しんだ芥川也寸志は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)で橋本國彦(1904~1949)と伊福部昭(1914~2006)に師事した。パリでピエルネからも教えを受けたという橋本から都会風の洒脱な音楽観を授かり、ほぼ独学で音楽を学んだ北大出身の伊福部から熱きアレグロの音楽や民俗的な舞曲の有り方を会得する。

 1950年2月、24歳のときに創った「交響管弦楽のための音楽」がNHK主催の「(ラジオ)放送開始25周年記念管弦楽懸賞」で特賞/第1位に輝く。團 伊玖磨(1924~2001)の交響曲第1番イ調と同時受賞だった。
 初演後、トスカニーニとNBC交響楽団の流れをくむシンフォニー・オブ・ジ・エアもアメリカ各地で披露。1955年には後楽園球場で行なわれたN響との合同公演でも披露された。芥川はその間、1953年に團、黛敏郎と「3人の会」を結成した。同年、少し年下の外山雄三、林光、間宮芳生が「山羊の会」を創ったことも付記してきたい。
 高関と仙台フィルは昨年6月の定期で芥川の「弦楽のための三楽章」(1953)を奏でている。

第1楽章 アンダンティーノ
第2楽章 アレグロ
シベリウス(1865~1957)ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
作曲:1903年
初演:1904年2月ヘルシンキ、ヴィクトル・ノヴァーチェクのソロ、ジャン・シベリウス指揮
改訂:1904年~1905年
改訂稿(現行版)初演:1905年10月ベルリン、カレル・ハリーシュのソロ、リヒャルト・シュトラウス指揮
           シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン宮廷管弦楽団)

 凛(りん)とした美音がホールを満たす。骨太な低弦の響きも私たちを魅了することだろう。昨秋東京フィル定期で弾いたサン゠サーンスも素晴らしかった中野りな、満を持して仙台フィル定期に登場だ。筆者は<音楽の友>2月号の特集コンサート・ベストテン2023“期待の新人”に、中野りなを選んだ。

 フィンランド音楽界の偉人ジャン・シベリウスにとってヴァイオリンは最も身近な楽器だった。幼少期から姉のピアノ、後に著名な精神科医となる弟クリスチャンのチェロを交えてトリオに興じ、クァルテット、コンチェルトのソロも弾いた。
 プロ奏者への道を諦めきれず、ハンガリー系ユダヤ人作曲家で弦の担い手でもあったカール・ゴルトマルクとオーストリアきっての理論家でオルガニストのローベルト・フックスから短期間教えを受けていたウィーン留学中には、ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィルの母体)の予備オーディションにも臨んだほどである。

 ヴァイオニストに憧れたシベリウスがこの楽器のために協奏曲を書くのは芸術的な必然だった。交響曲第2番などを書き終えた彼は1903年、ヘルシンキ市立管弦楽団(ヘルシンキ・フィルハーモニー協会)のドイツ人コンサートマスター、ウィリー・ブルメスターの妙技に想いを寄せながらヴァイオリン協奏曲の創作に勤しむ。
 曲はブルメスターの助言を仰ぎつつ完成に近づき、1904年3月のベルリンでの初演も内定した。しかし、それなりに潤沢な芸術年金を受け取りながらも浪費癖や別邸の維持で日々のお金が不足がちだった彼は、作曲料を急いだのか初演の日取りを前倒ししてしまう。場所もヘルシンキに変わった。
 急きょ初演を請け負った当地の音楽院教授ヴィクトル・ノヴァーチェク(ハンガリー系のチェコ人演奏家)は懸命に弾いたようだが、曲には手厳しい声が多かった。アダージョの第2楽章は悪くないが、第1楽章は冗長、他も難技巧の連続ばかりで楽しめない、との声が飛ぶ。
 それでシベリウスは改訂を施す。第1楽章を約40小節、第3楽章を60小節近く短縮するとともに、二つあった第1楽章のカデンツァをひとつにした。一定のリズムが繰り返される第3楽章にリズムパターンの異なるティンパニを加え「死の舞踏」(作曲者の表現)とした。ソロパートを見直すとともに、オーケストラの音域、楽器法に凝ったのだ。

 改訂稿(現行版)の初披露は1905年10月のベルリン。ソロは、かの地をベースに欧米で活躍したチェコ人カレル・ハリーシュ(1859~1909)に委ねられ、リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)がタクトを執った。
 オーケストラの編成は木管各2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦楽で、ひんやりとした音彩も烈しい情趣もお任せあれの趣。これぞシベリウス。

第1楽章 アレグロ・モデラート ニ短調
第2楽章 アダージョ・ディ・モルト 変ロ長調
第3楽章 アレグロ・
マ・ノン・タント ニ長調

※参考文献
Andrew Barnet著 Sibelius(Yale University Press)
新田ユリ著「ポホヨラの調べ」(五月書房)
ドヴォルザーク(1841~1904)交響曲第6番 ニ長調 作品60
作曲:1880年8月~10月
初演:1881年3月プラハ、アドルフ・チェフ指揮プラハ国民歌劇場管弦楽団

 終始魅せる。ドイツ・オーストリアで培われた交響曲のフォルムを遵守しつつ、ホルン、木管、弦楽を仲立ちに人懐っこいメロディを歌わずにはいられなかったボヘミア(チェコ)人作曲家がここにいる。
 19世紀ロマン派きってのメロディ・メーカー(美しい旋律を紡ぐ才人)にして転調や変奏、ファンファーレの達人でもあったドヴォルザークの逸品を聴く。
 恩人ブラームスへの想い、とくに交響曲第2番ニ長調に憧れたかのような創りも魅力となる。チェコの民俗舞曲フリアントが疾走する第3楽章がまた素晴らしい。

 近年演奏の機会が増えてきた交響曲第7番ニ短調(2023年9月定期で太田弦が指揮)、1960年代から愛されている交響曲第8番ト長調、それ以前からずっと愛されている交響曲第9番ホ短調「新世界より」に引けを取らないシンフォニーである。

 曲が創られたのは1880年、ドヴォルザークこのとき39歳。
 すでにドイツの名門音楽出版社ジムロックから「モラヴィア二重唱集」および「スラヴ舞曲集」作品46(連弾版、管弦楽版)を刊行。ウィーンを拠点としていた名匠ブラームス、ウィーン・フィルと宮廷歌劇場の指揮者ハンス・リヒター、ヴァイオリンのヨーゼフ・ヨアヒムと交友するようになっていたドヴォルザークにとって、交響曲第6番は勝負曲だった。実際、1882年にジムロック社から交響曲第1番として出版されている。
 ドヴォルザークの才能に惚れ込みジムロック社を紹介したのは、1870年代中葉にウィーンで行なわれた「ハプスブルク帝国の若い芸術家に国家奨学金を授与する審査会」に加わり、ドヴォルザークが提出した管弦楽曲などを精査したブラームスである。
 潤沢な奨学金により創作に専念できる環境が整ったドヴォルザークは1870年代後半以降、弦楽セレナード、チェコ組曲、スターバト・マーテル、ヴァイオリン協奏曲の初稿も手がける。ウィーン、ロンドンでもその名を知られるようになっていた。

 交響曲第6番に戻せば、曲はワーグナーやブラームス作品の初演、再演でも音楽史に名を刻むウィーンのマエストロ、ハンス・リヒター(1843~1916)の委嘱で書かれた。ドヴォルザークの音楽に魅了されていたリヒターは1879年11月のウィーン・フィル定期で、前年に出来たばかりのスラヴ狂詩曲第3番変イ長調作品45‐3のウィーン初演を敢行。この演奏会の前日に行なわれた公開ゲネラルプローベ(要人を招いたクローズド公演)には作曲者本人のほかブラームスも出席し、ボヘミアやスラヴの流儀に基づくドヴォルザークの音楽はウィーンで受け入れられた、かに見えた。
 しかしウィーン音楽界に「反チェコ感情」「反スラヴ流儀」の風が吹き始めていた。リヒターは1880年暮れのウィーン・フィル定期で交響曲第6番を初演するつもりだったが、同フィルが2年続けてドヴォルザーク作品を定期で披露することに難色を示す。「反スラヴ」云々といえば、1881年12月のウィーン・フィル定期での初演が酷評されたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の件も思い出す。

 流麗な旋律美と熱きボヘミア/スラヴ魂をあわせもつこの交響曲は、完成の翌年1881年春にプラハで初演された後、ロンドン、アムステルダム、ライプツィヒ、ケルン、ブダペスト、ニューヨーク、ボストン(順不同)を巡演し、喝采を博す。やはり名曲だったのだ。
 オーケストラの編成はフルート2(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、弦楽。

 我らが高関健の愛奏曲で、サンクト・ペテルブルク・フィル客演時のメインだったほか、富士山静岡交響楽団などで指揮している。

第1楽章 アレグロ・ノン・タント ニ長調
第2楽章 アダージョ 変ロ長調

第3楽章 スケルツォ(フリアント):プレスト ニ短調
フリアントは、強いアクセントを伴ったテンポの速いチェコ民俗舞曲。2拍子と3拍子が頻繁に交代し、独特の推進性、拍節感を醸す。
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・コン・スピーリト ニ長調
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