本文へ移動
プログラムノート(第374回定期演奏会)
2024-07-12
カテゴリ:読み物
チェック
奥田 佳道(音楽評論家)
尾高惇忠(1944~2021)音の旅(オーケストラ版)より
 第1曲「小さなコラール」 第2曲「森の動物たち」 第4曲「優雅なワルツ」
 第6曲「エレジー」 第15曲「フィナーレ~青い鳥の住む国へ~」


作曲 1973年(ピアノ連弾曲として)
オーケストラ版作曲 2020年
オーケストラ版初演 2022年5月15日宮崎県立劇場コンサートホール 広上淳一指揮宮崎国際音楽祭管弦楽団

 広上淳一を音楽の世界に導いた恩人、尾高惇忠(おたか・あつただ)の佳品が7月定期の開演を寿ぐ。惇忠はマエストロ尾高忠明の3つ上の兄。尾高惇忠と広上淳一は、神奈川県の湘南学園中学校高等学校(現名称)を仲立ちに、先輩、後輩の間柄となる。
 惇忠は、パリ音楽院のモーリス・デュリュフレ(1902~1986)のクラスで巧緻なエクリチュール(和声法、対位法)を究めながら、そうした技や理論を決してひけらかすことなくヒューマンな調べを紡いだ作曲家、ピアニストである。長く東京藝術大学教授も務め、多くの才能を羽ばたかせた。
 作曲家としては、早すぎる晩年に相次いで書かれた構えの大きな交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲(遺作)のほか、美や夢の世界を映し出すかのような歌曲、ピアノ曲、連弾曲が素晴らしい。
 メルヘンの世界を愛した。イマージュ(絵、像)、ファンタジー、それに海、旅、祈りという言葉を好み、曲のタイトルにした。「管弦楽のためのイマージュ」(1981年初演)は外山雄三の愛奏曲だった。

 <音の旅>Traveling Muse for Orchestra(2020)─オリジナルは、宮沢賢治(1896~1933)の童話に基づく尾高惇忠初のピアノ連弾曲。1970年代からカワイ音楽教育研究会の機関紙「あんさんぶる」に連載され、都合14曲の連弾曲となった。
 2020年夏、オーケストラ版を作成する際、尾高は「種山ヶ原」(第11曲)を追加、全15曲のヴァージョンが完成する。編成は木管各2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1、そして多彩な打楽器、ハープ、チェレスタ、ピアノ。
 オーケストラ版「音の旅」は2022年5月、広上淳一指揮宮崎国際音楽祭管弦楽団により、抜粋で初演。以来、広上はライフワークのごとく演奏している。

第1曲「小さなコラール」
第2曲「森の動物たち」
第4曲「優雅なワルツ」
第6曲「エレジー」
第15曲「フィナーレ ~青い鳥の住む国へ~」
モーツァルト(1756~1791)ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
作曲 1785年2月10日(自作目録への記載、恐らく校了日)
初演 1785年2月11日ウィーン、ツア・メールグルーベ(舞踏/社交会場)

 冒頭シンコペーションのリズムに、デモーニッシュ(魔境的)な音彩に、あらためて心奪われる。
 慈愛の眼差しと劇的なドラマをあわせ持つ第2楽章のロマンツァ、疾走と転調の美学に彩られた第3楽章アレグロ・アッサイも、この人にしか書けない天衣無縫の音楽である。木管楽器が導く第3楽章のコーダ(終結部)が、ニ長調というオペラティックな展開にいつも驚かされる。

 何かと確執のあった父レオポルトが、息子の活躍ぶりを探ろうとウィーンを訪れた際、この曲の初演を聴いている。1785年2月のことである。作曲者このとき29歳。
 レオポルトは長女ナンネル(モーツァルトの姉)に宛て、次のような内容を記した。
「お前の弟は、高貴な人々が集うウィーンの名高い社交場ツア・メールグルーベでのコンサートで、新作の素晴らしいコンチェルト(第20番ニ短調)を披露した。オーケストラも立派に演奏した」
 モーツァルトの活躍を示唆する次のくだりも私たちを喜ばせる。
「いくつかの交響曲やイタリア語のアリアも演奏された。私が到着したとき、楽譜の浄書(写譜師による筆写)はまだ終わっておらず、お前の弟はそれに目を通しているところだった。彼はロンド(第3楽章)を事前に通すことなく弾いた。
 私の(ウィーン)滞在中、お前の弟の鍵盤楽器はコンサートのために何度も劇場や舞踏会場に運び出されている!」

 モーツァルトは1777年、故郷ザルツブルクで手がけたピアノ協奏曲変ホ長調K.271通称「ジュナミ(これまでジュノムと呼ばれた協奏曲)」の第2楽章で、このジャンルとしては初めてハ短調の音楽を書いている。
 しかし短調をピアノ協奏曲の基調としたのは、第20番ニ短調K466が初めてだ。その一ヶ月後に、晴朗な協奏曲第21番ハ長調K467を紡ぐのがいかにも彼らしいのだけれど。

 卓越したクラヴィーア(鍵盤楽器)奏者として1790年代前半にウィーンに名乗りを挙げたベートーヴェンの勝負曲だった。1795年3月のブルク劇場ほか、ここぞという場面で弾き、第1楽章と第3楽章のために素晴らしいカデンツァを作曲した。現代はこれを弾く人が多い。
 いっぽう、ハイドンやサリエリと交友したフンメルもこの協奏曲が好きで、カデンツァばかりでなく室内楽版も作成した。さらにモーツァルトの末の息子フランツ・クサヴァー、クララ・シューマン、ライネッケ、ブラームス、ブゾーニらの愛奏曲でもあり、彼らもカデンツァを書いている。
 1980年代からトップステージで創造の喜びを分かちあい、近年はサントリーホールでの協奏曲企画“以心伝心”でも賞賛を博している小山実稚恵。ファン憧れの小山はベートーヴェンのカデンツァを弾く。

第1楽章 アレグロ ニ短調
第2楽章 ロマンス 変ロ長調、トリオ中間部はト短調!
第3楽章 アレグロ・アッサイ ニ短調~ニ長調
マーラー(1860~1911)交響曲第1番 ニ長調 「巨人」
作   曲 主に1888年、構想は1884年頃から
初   演 1889年11月20日ブダペスト 交響曲を意図した2部5楽章の“交響詩”として、マーラー指揮
      ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団(宮廷歌劇場管弦楽団)
現行版初演 1896年3月16日ベルリン ただし第1番と番号が付くのはその3年後

 曲は万物創造の瞬間に立ち会うかのような、神秘的な響きで開始される。失恋の胸中をつづった自叙伝的な歌曲集「さすらう若人の歌」の旋律も織り込まれた。
 オーケストラ芸術への内なる尽きせぬ想いをユダヤの哀歌風に表現したかと思えば、ここぞという場面でその想いを爆発させる作曲家。4度下降するカッコウの鳴き声のような音程、それにドイツ語圏の田舎舞曲レントラーのリズムも曲の鍵を握る。

 苦悩と激情に彩られ、自然賛歌もこだまする「巨人」は、19世紀から20世紀への世紀転換期を駆け抜けた鬼才グスタフ・マーラー若き日の肖像でもある。
 ライプツィヒ歌劇場の第2指揮者時代の1888年に集中的に書かれ、1889年11月にオーストリア=ハンガリー帝国の第2首都ブダペストで初演された。マーラーこのとき29歳。
 当初、2部5楽章から成る交響詩と題されていた。標題はない。
 1893年10月、マーラーは赴任先ハンブルク(市立歌劇場の首席指揮者だった)での演奏に際し、ドイツ初期ロマン派の作家ジャン・パウル(1763~1825)の小説に由来する「巨人/Titan」なるタイトルを掲げ、各楽章にも標題を添える。
 曲は「巨人」──交響曲形式による音詩となった。卓越した指揮者だったマーラーは、演奏ごとに自作のスコアに細かく指示を書きこむ、あるいは改訂するのが常だった。

 交響曲形式による音詩「巨人」で校了するかに見えたが、作曲者は4度目の演奏となった1896年のベルリン公演時に、「巨人」を含む全標題を削除した上に、当初第2楽章としていた穏やかなBlumine(ブルーミネ、造語、花の章と訳される)を割愛。タイトルは「大管弦楽のための4楽章から成る交響曲ニ長調」となった。このベルリン公演ではオーケストラ歌曲「さすらう若人の歌」も披露されている。
 なお第1番という通し番号は1899年の楽譜出版時に採用された。その後も細かな改訂の旅が続く。

 マーラー自身この交響曲に愛着があり、現行版だけで11回ほど指揮している。ウィーン初演は1900年11月のウィーン・フィル定期、1903年10月にはアムステルダムのコンセルトヘボウでもタクトを執った。この交響曲を最後に指揮したのは1909年12月、ニューヨーク・フィル定期だった。
 広上淳一の十八番でもある。近年のインタヴューで、祈りや愛という言葉を好んで口にする広上は、2022年3月の京都市響定期でもこの烈しくも美しいシンフォニーを指揮している。

第1楽章 ゆるやかに、引きずるように、自然の音のように~非常にゆっくりと ニ長調
 主題は歌曲集「さすらう若人の歌」の第2曲から。

第2楽章 力強く運動して、しかし速すぎないように~トリオ(中間部);とてもゆったりと。イ長調
 ドイツ南部やオーストリアの舞曲レントラーのリズムが採用された。中ほどの優美なウィンナ・ワルツは、マーラーが学生時代に紡いだとされる失恋の歌か。

第3楽章 荘重に威厳をもって、引きずることなく  ニ短調 
 17世紀前半の銅板画家ジャック・カロの風刺画から霊感を受けた「狩人の葬送」。フランスの童謡「フレール・ジャック」(ドイツ語ではブルーダー・マルティン)のパロディでもある。
 弱音器をつけたコントラバスのソロも聴きどころとなる。1992年に国際マーラー協会から出版された批判校訂版全集の楽譜では、コントラバス群によるソロ=パート全員によるユニゾンになっていた。
中ほどの旋律は「さすらう若人の歌」の第4曲に基づく。

第4楽章 嵐のように運動して ヘ短調~ニ長調
 シンバルの一撃が静寂を打ち破る。大詰め、マーラーが楽譜に書きこんだホルン、補助トランペット、補助トロンボーンの起立斉奏を採用するか否かは、指揮者次第。ホルンだけ起立、あるいは楽器を高目に掲げるベルアップでの演奏もある。
TOPへ戻る