異種楽器対談 第29回、第30回
異種楽器対談
オーケストラのプレーヤーは大のお話好きです。楽屋、居酒屋、はたまた本番中のステージで(あ、これは聞かなかったことにしてください。)おしゃべりに夢中です。特に楽しいのは楽器のウンチク。ちょっとのぞいてみましょうか。プレーヤーならではのお話が聞けそうです。なかには少しあやしいものもあるようですが・・・
第29回、第30回 フルートの山元康夫さん、チェロの田沢緑さん
────フルートの山元康夫さんが、チェロの田沢緑さんになにやら尋ねています────
──(山元)練習の話からしましょうかね。練習をご自宅でなさる時に、オーケストラのパート以外にどんなものを練習なさってます?
(田沢)まず開放弦、それから音階。4オクターヴ、3度6度オクターヴとか…しなくちゃいけないんです(笑)。それで時間があると、特定の練習曲をして、あと自分のやりたい曲をします。
──その開放弦とか音階っていうのは、ピアノでいえばハノンみたいなもんなんでしょうかね。
そうですね。開放弦は、いい音を探すためにやるんで。
──むしろ右手の技術っていうこと?
そうですね。それで音階は左ですね。音程。
──それをやって、エチュードをやって、そして自分の好きなレパートリーですか。レパートリーっていうと、僕達管楽器の人間が知ってるのは、例えばバッハの組曲とか、ベートーヴェンやブラームスのソナタぐらいなんだけど、やっぱりそういうものが中心なんですかね。
そうですね、バッハの組曲。それ以外に、ソナタ。あとは必要なものを弾いてます。
──学生の頃ってたくさん練習できたんだけど、今はそうもいかないですよね。
そうですねぇ、学生の頃は本当に時間があれば練習してました。普通の学校に行く前に6時頃起きて練習して、宿題は学校でやって、帰ってきて夜の12時頃までやってました。好きだったんです(笑)
──それって小学校?中学校?
中学校の頃。それであとは留学して、もう、すごいやってました。レッスンなんか、暗譜してないと見てくれませんでしたから。今は、あんまり…前ほど時間取れないですね。…やってないなんて言っちゃ悪いけど(笑)
──オーケストラのパートをさらう時に、いつも僕は思うんだけど、弦楽器の人って、同じベートーヴェンのシンフォニーにしても、倍ぐらいページ数があって大変だと思うんですけど、やっぱり長いですよね、弦楽器は。
そうですね。ですから、最初に難しそうなところを練習して。時間があると、流れを…。
──なんか弦楽器の人って管楽器に対してそういう不満って持ってないんですかね。
いえいえ(笑)
──これだけ働いても給料は同じ…。
だけど管楽器のほうが、一人一人独奏パートで、大変だなぁと思ってます。皆さん…ねえ?立派に勉強なさって…。
──そりゃそうですよね、一人で一つのパートを持つわけだから、落ちたりするとすぐに分かるし。ピッコロなんかすぐバレますからね。「ピッコロ吹きには2種類ある」って話、知ってます?
あ、知りません。
──「ピッコロ吹きは2つの種類に分けられる。指揮者に叱られた奴と、これから叱られる奴。」
大変だ(笑)そんな難しいんですか(笑)緊張しますねえ。
──逆に言うと弦楽器って、同じパートを何人かで弾くわけだから、人も同じものを弾いてるわけでしょ?だから、「あれ?隣とか後ろで、なんか違った音程が聴こえる…」とか「隣の人、ちょっと早く飛び出した…」とか。そういうのすぐ分かるわけですか?
はい、分かりますね。でも普通に一緒に弾いてると、自分の音はあまり聴こえないんです。だから飛び出したり外したりすると聴こえるんです(笑)
──なかなか誤魔化しは難しいですね(笑)
はい。
──さっきの話に戻りますけど、田沢さんは日本の音楽大学にいらっしゃらなくて、オーストリアやフランスで勉強なさったと聞きましたけど、何処が一番長いですか?
ウィーンです。
──あ、ウィーンで勉強したのが長い。住んだので長いのはイタリアですか?
同じぐらいだと思いますよ、ウィーンとイタリア。
──フランスにはどのぐらいですか?
3年ぐらい居たと思います。
──あー、長いですね。
山元さんもフランスに…何年でしたっけ。
──僕はパリにたった一年居ただけですけど。田沢さんがイタリア語と、それからドイツ語に堪能っていうのは、2000年のヨーロッパ公演の時に実証済みなわけですけど、どちらがお得意ですか?
オーストリアに居た時は、ドイツ語もっとベラベラでした。本も読みましたし。日本の音楽大学に行ってなかったので、副科をみんなあちらで取りました。「音楽史」とか…色々ありまして。そういうのは読めないと、答えられないし。イタリアは生活してたので…だから、音楽用語ですか?イタリア語でレッスン受けたことはないので、あんまりそういうことは知らなかったり。
──4月からパスカル・ヴェロさんを常任指揮者として迎えるんで、これから田沢さんのフランス語にご厄介になることもあるかもしれません。
あー、わたしのフランス語…昔はちゃんと喋れて、読めたんですよね。それがイタリア語やってきたら、なんか混ざっちゃって出なくなって。
──似てますよね、やっぱりラテン系の言葉ってね。
だけど、イタリア語をフランス人に喋ってもあまり通じないんですね、不思議なことに。それで最近またフランス語やろうと思って。自分の耳から聴こえてくる自分の発音が、すごいぎこちないんです。だからこれからは、さぞかしヴェロさん相手に…(笑)フランス語を。
──いい勉強の場になりますね。
ええ。喋りましょうね(笑)
──えっ、いや僕はちょっと(笑)
ちらっと喋ったけど、こう…「言おう」と思うと、単語がすぐに出てこない。
──後から「あ!あのときこう言えば良かったんだ」って思いますよね。
喋ってないと、母国語じゃないので、忘れますよねぇ。
──何年か前に田沢さんのお宅にお伺いした時に、ラビオリやピザ…素晴らしいイタリア料理を御馳走になったわけなんですけど、お料理は和・洋・中、どれもOKですか?
はい。そんなあのー、上手じゃなくて、不器用ですので。不器用っていうか大雑把なので(笑)そういう料理です。山元さんみたいに専門的な…。
──いやいやとんでもないです。僕はもうあのー、中華料理しかできないですし。田沢さんはだから、料理も和・洋・中で三つOK、語学も三つOK、それからチェロの人って、ヘ音記号が読めて、テナー記号(ハ音記号の一つ)が読めて、ト音記号も読める。三つOK。三冠王の三冠王。それだけで尊敬してしまいます。だから僕なんかハ音記号は、大学の時ソルフェージュでやらされたのが最初で最後で、フルート吹きはト音記号しか読めませんから。
だけど上の音は、だいぶ線がこう…。
──そう。上の音はね、加線5本かそこらは平気で読めますけどね。
だから、あぁいうのは読めなくなっちゃうんですね。記号が変わるので。
──テナー記号ってのは要するに、ト音記号で書くには低いけど、ヘ音記号で書くには高過ぎるという。
そう。そうです。
──やっぱりそれって、いつの間にかできちゃうんですかね?
慣れですね。ぱっと見て…読んでるっていうんじゃないんですよ。
──あー。多分そうなんでしょうねえ。いまお使いの楽器は?
むかしフランスに留学した時に購入した、100年ちょっと前のものです。フランスの…。
──フランスの。「フレンチ」?
はい。フレンチです。
──あーそうかぁ。
「ヴィヨーム」っていうんですけどね。
──弓もやっぱりフレンチなんですか?
そうです。名前は書いてないですけど。なんか有名な人の弓なんですけど、その人(製作者)が満足しなかったので自分のハンコ(焼印)を押さなかった。
──あーなるほど、じゃあ、もしそのハンコを押してたら、凄い値段だったりして。
高かったんじゃないですか。
──何倍もするとか。
そうですよね。
──へぇー。
なんか名前言われたんですけど、覚えてない…(笑)
──でもそういう高価な物だから、盗まれないようにしないとね。
あー。置き忘れないように(笑)
──あの、「チェロを盗難から防ぐいい方法」ってご存知ですか?
チェロ盗んでいく人、居るんですか?あんなおっきな…フルートなら分かりますけど(笑)
──チェロの方がずっと高価ですよ。チェロを盗難から防ぐにはね、コントラバスのケースに入れておけばいいんですよ。
(笑)
──こういうアメリカン・ジョークってけっこうたくさんあって、これはあのー、本当は「チェロ」じゃなくてヴァイオリンで、「コントラバス」じゃなくてヴィオラなんだけどね(笑)。…チェロ弾きの、一般的に言われる性格っていうのは、なんか言われたことありますか?
そうですねえ、みなさんあのー、人が…人間ができてるみたい…って自分で言っちゃったー(笑)
──(笑)
あのー、人柄がみなさん良くて、ある程度コントロールして。あんまり喧嘩もせず、ある程度仲良くまとまってるように感じます。
(田沢)まず開放弦、それから音階。4オクターヴ、3度6度オクターヴとか…しなくちゃいけないんです(笑)。それで時間があると、特定の練習曲をして、あと自分のやりたい曲をします。
──その開放弦とか音階っていうのは、ピアノでいえばハノンみたいなもんなんでしょうかね。
そうですね。開放弦は、いい音を探すためにやるんで。
──むしろ右手の技術っていうこと?
そうですね。それで音階は左ですね。音程。
──それをやって、エチュードをやって、そして自分の好きなレパートリーですか。レパートリーっていうと、僕達管楽器の人間が知ってるのは、例えばバッハの組曲とか、ベートーヴェンやブラームスのソナタぐらいなんだけど、やっぱりそういうものが中心なんですかね。
そうですね、バッハの組曲。それ以外に、ソナタ。あとは必要なものを弾いてます。
──学生の頃ってたくさん練習できたんだけど、今はそうもいかないですよね。
そうですねぇ、学生の頃は本当に時間があれば練習してました。普通の学校に行く前に6時頃起きて練習して、宿題は学校でやって、帰ってきて夜の12時頃までやってました。好きだったんです(笑)
──それって小学校?中学校?
中学校の頃。それであとは留学して、もう、すごいやってました。レッスンなんか、暗譜してないと見てくれませんでしたから。今は、あんまり…前ほど時間取れないですね。…やってないなんて言っちゃ悪いけど(笑)
──オーケストラのパートをさらう時に、いつも僕は思うんだけど、弦楽器の人って、同じベートーヴェンのシンフォニーにしても、倍ぐらいページ数があって大変だと思うんですけど、やっぱり長いですよね、弦楽器は。
そうですね。ですから、最初に難しそうなところを練習して。時間があると、流れを…。
──なんか弦楽器の人って管楽器に対してそういう不満って持ってないんですかね。
いえいえ(笑)
──これだけ働いても給料は同じ…。
だけど管楽器のほうが、一人一人独奏パートで、大変だなぁと思ってます。皆さん…ねえ?立派に勉強なさって…。
──そりゃそうですよね、一人で一つのパートを持つわけだから、落ちたりするとすぐに分かるし。ピッコロなんかすぐバレますからね。「ピッコロ吹きには2種類ある」って話、知ってます?
あ、知りません。
──「ピッコロ吹きは2つの種類に分けられる。指揮者に叱られた奴と、これから叱られる奴。」
大変だ(笑)そんな難しいんですか(笑)緊張しますねえ。
──逆に言うと弦楽器って、同じパートを何人かで弾くわけだから、人も同じものを弾いてるわけでしょ?だから、「あれ?隣とか後ろで、なんか違った音程が聴こえる…」とか「隣の人、ちょっと早く飛び出した…」とか。そういうのすぐ分かるわけですか?
はい、分かりますね。でも普通に一緒に弾いてると、自分の音はあまり聴こえないんです。だから飛び出したり外したりすると聴こえるんです(笑)
──なかなか誤魔化しは難しいですね(笑)
はい。
──さっきの話に戻りますけど、田沢さんは日本の音楽大学にいらっしゃらなくて、オーストリアやフランスで勉強なさったと聞きましたけど、何処が一番長いですか?
ウィーンです。
──あ、ウィーンで勉強したのが長い。住んだので長いのはイタリアですか?
同じぐらいだと思いますよ、ウィーンとイタリア。
──フランスにはどのぐらいですか?
3年ぐらい居たと思います。
──あー、長いですね。
山元さんもフランスに…何年でしたっけ。
──僕はパリにたった一年居ただけですけど。田沢さんがイタリア語と、それからドイツ語に堪能っていうのは、2000年のヨーロッパ公演の時に実証済みなわけですけど、どちらがお得意ですか?
オーストリアに居た時は、ドイツ語もっとベラベラでした。本も読みましたし。日本の音楽大学に行ってなかったので、副科をみんなあちらで取りました。「音楽史」とか…色々ありまして。そういうのは読めないと、答えられないし。イタリアは生活してたので…だから、音楽用語ですか?イタリア語でレッスン受けたことはないので、あんまりそういうことは知らなかったり。
──4月からパスカル・ヴェロさんを常任指揮者として迎えるんで、これから田沢さんのフランス語にご厄介になることもあるかもしれません。
あー、わたしのフランス語…昔はちゃんと喋れて、読めたんですよね。それがイタリア語やってきたら、なんか混ざっちゃって出なくなって。
──似てますよね、やっぱりラテン系の言葉ってね。
だけど、イタリア語をフランス人に喋ってもあまり通じないんですね、不思議なことに。それで最近またフランス語やろうと思って。自分の耳から聴こえてくる自分の発音が、すごいぎこちないんです。だからこれからは、さぞかしヴェロさん相手に…(笑)フランス語を。
──いい勉強の場になりますね。
ええ。喋りましょうね(笑)
──えっ、いや僕はちょっと(笑)
ちらっと喋ったけど、こう…「言おう」と思うと、単語がすぐに出てこない。
──後から「あ!あのときこう言えば良かったんだ」って思いますよね。
喋ってないと、母国語じゃないので、忘れますよねぇ。
──何年か前に田沢さんのお宅にお伺いした時に、ラビオリやピザ…素晴らしいイタリア料理を御馳走になったわけなんですけど、お料理は和・洋・中、どれもOKですか?
はい。そんなあのー、上手じゃなくて、不器用ですので。不器用っていうか大雑把なので(笑)そういう料理です。山元さんみたいに専門的な…。
──いやいやとんでもないです。僕はもうあのー、中華料理しかできないですし。田沢さんはだから、料理も和・洋・中で三つOK、語学も三つOK、それからチェロの人って、ヘ音記号が読めて、テナー記号(ハ音記号の一つ)が読めて、ト音記号も読める。三つOK。三冠王の三冠王。それだけで尊敬してしまいます。だから僕なんかハ音記号は、大学の時ソルフェージュでやらされたのが最初で最後で、フルート吹きはト音記号しか読めませんから。
だけど上の音は、だいぶ線がこう…。
──そう。上の音はね、加線5本かそこらは平気で読めますけどね。
だから、あぁいうのは読めなくなっちゃうんですね。記号が変わるので。
──テナー記号ってのは要するに、ト音記号で書くには低いけど、ヘ音記号で書くには高過ぎるという。
そう。そうです。
──やっぱりそれって、いつの間にかできちゃうんですかね?
慣れですね。ぱっと見て…読んでるっていうんじゃないんですよ。
──あー。多分そうなんでしょうねえ。いまお使いの楽器は?
むかしフランスに留学した時に購入した、100年ちょっと前のものです。フランスの…。
──フランスの。「フレンチ」?
はい。フレンチです。
──あーそうかぁ。
「ヴィヨーム」っていうんですけどね。
──弓もやっぱりフレンチなんですか?
そうです。名前は書いてないですけど。なんか有名な人の弓なんですけど、その人(製作者)が満足しなかったので自分のハンコ(焼印)を押さなかった。
──あーなるほど、じゃあ、もしそのハンコを押してたら、凄い値段だったりして。
高かったんじゃないですか。
──何倍もするとか。
そうですよね。
──へぇー。
なんか名前言われたんですけど、覚えてない…(笑)
──でもそういう高価な物だから、盗まれないようにしないとね。
あー。置き忘れないように(笑)
──あの、「チェロを盗難から防ぐいい方法」ってご存知ですか?
チェロ盗んでいく人、居るんですか?あんなおっきな…フルートなら分かりますけど(笑)
──チェロの方がずっと高価ですよ。チェロを盗難から防ぐにはね、コントラバスのケースに入れておけばいいんですよ。
(笑)
──こういうアメリカン・ジョークってけっこうたくさんあって、これはあのー、本当は「チェロ」じゃなくてヴァイオリンで、「コントラバス」じゃなくてヴィオラなんだけどね(笑)。…チェロ弾きの、一般的に言われる性格っていうのは、なんか言われたことありますか?
そうですねえ、みなさんあのー、人が…人間ができてるみたい…って自分で言っちゃったー(笑)
──(笑)
あのー、人柄がみなさん良くて、ある程度コントロールして。あんまり喧嘩もせず、ある程度仲良くまとまってるように感じます。
──留学中、ずいぶんモテたでしょう。ヨーロッパに行ったのは何歳の時ですか?
17歳のはじめです。
──うわー。
高校は普通高校に…あまり行かないつもりで入りまして。東京まで(藤沢から)フランス語週3回通って、あとソルフェージュとか、そういうことを…よく早退して通ってました(笑)
──アテネ・フランセですか?
そうです。
──御茶ノ水の。
そう。
──あそこ行くと、芸大附属高校の学生がいっぱいたむろしてて、下のティールームなんかいっぱいいるんですよね(笑)
近くだからねー。
──僕は芸高じゃないんです。僕がどうしてアテネ・フランセへ行ったかというと、大学卒業した年に、アメリカ行くつもりで…。
アテネ・フランセ行ってたんですか?
──アテネ・フランセにはちゃんと英語のコースがあるんです。
あ、それ知りませんでした。
──そこ行って、英語のクラス3ヶ月勉強して、それからニューヨーク行ったんです。
英語、ばっちりでした?
──そんなわきゃないです。それだったら、今こんなに苦労してないです(笑)
わたしも、フランス行って全然分かりませんでした(笑)。
──で、17歳でパリですか。
そうです。最初は、モンマルトの丘に住んでました。サクレクール寺院の上です。
──あのーモンマルトとかサクレクールとか言うと聞こえはいいんだけど、ちょっと治安や風紀の良くない所ですよね。
上はいいんです。
──上はいいの?「ピガール」は?(笑)
わたし、チェロの先生の家に住んでまして、下には「ピガール」とかっていう繁華街。「下りるな!」と言われてました(笑)
──あははは。ムーランルージュ。
そうです(笑)
──ということは、先生は?
レーヌ・フラショー。
──あー、フラショーさん。12区に住んでらっしゃった。
あ、12区ですか。なに区だか覚えてないから…サクレクールの上に住んでました。有名な…。
──テルトリ広場。
…の、ちょっと下のほうです。そこに3ヶ月住んでて、あと、ヴェルサイユ。そっちは宮殿の近く。
──郊外はいいですよね。
うーん、だけど音楽会に行ったりすると、帰ってくるのが大変でしたね。サン・ラザール駅から…。
──地下鉄で帰って来られないから。
そうです。むかし、ポンピドーセンターができた時にガラコンサートがあったんです。シラクとか…有名人がいらしてて、ガラコンサートですから盛装して行かなくちゃいけないんですね。女性は、長いスカートはいてればいいんです。男性は、蝶ネクタイ。長いスカートなんかあの頃子供で持ってなかったから、オーケストラではく黒いスカートに、ブラウスで。それで家に帰ったら足が黒いんですよね。みなさんみたいに車で送ってっくれる人居ないの。…でも素晴らしかったですね、あれは。本当に、映画で観るような雰囲気で。なんで行ったかっていうのは、あの有名なロストロポーヴィチが、パリのオペラ座のオーケストラで3曲、コンチェルトをやったんです。
──へえー。
ハイドンと、ロココと、ドヴォルザーク。完璧でした、完璧!
──オペラ座管弦楽団。
そう。舞台の上で。
──あー、そりゃ大変だ。オペラ座管弦楽団っていつもピットの中に入ってるでしょ?あれステージに上がっちゃうと、舞い上がっちゃって、結構色んなことがある。
なんか個性的なソリストが多いですね、管楽器なんか。ソロで活躍してる方が…。
──一人一人はものすごく上手いんですよ。
そう。だからなんかちょっと目立つような…。
──あー(笑)。よく言えば「目立つ」なんだけど。
変わったオーケストラで(笑)
──オペラ座のオーケストラで日本公演をやった時に、「幻想交響曲」をやったんです、ベルリオーズの。 そうしたら、関係ないとこで、なんか色々飛び出しがあったりね、大変だったっていうんですよ。要するに、「幻想交響曲」ってやったことないの。
慣れてないわよ。
──ヴェルディやプッチーニはOKだけど、フランス人なのに知らないっていうんだ。それにほら、フランスのオーケストラの性格っていうか、団員一人一人が、スコアを読むという習慣がまるで無いでしょ? あれ面白いですよね。
あとストラウスブールにその前住んでたんです。そこにオーケストラがあるんです。ある時リハーサルを聴きに行きまして、びっくりしましたよ。なんか消しゴム投げてる人もいるしねえ、お喋りがすごくてねえ。なんにも聴こえないしね。だけど演奏会だと、素晴らしい音色を出すんですけどね。あのリハーサル見たら日本のオーケストラのリハーサルと全然違うのでびっくりしますね。仙台フィルは真面目ですよね(笑)
──それが普通です(笑)
パリ管も仙台でゲネプロ聴きに行ったら、「シッ!シッ!シッ!」ですよ(笑)
──パリ管のCDってなんでベートーヴェンやブラームス無いんだろう?ってずっと子供の頃から思ってたんですよ。それがパリに行って、色んなオーケストラ聴きに行くと、「あ、なるほど」って分かりました。パリ管にしろフランス国立にしろ、ブラームスとかシュトラウスとか、そういうプログラムも当然あるわけです。年がら年中ラヴェル、ドビュッシーやってるわけじゃないんだから。だけど「英雄の生涯」なんてあるでしょ?最初チェロとホルンがユニゾンのところがあるじゃない。ティーララータララララって。何小節か経ってから、ホルンが「おっ、これって、チェロとおんなじだったの?」って。全然ズレまくり。
フフフフ。
──…後期ロマン派のうねりのようなものも無いし、低音からズギーッっと来るようなサウンドも無くて、なんか高いところで「ほにゃほにゃほにゃほにゃ」って言ってるだけなんですよね。縦の線も全然合ってないし。ブラームスも同じ。だから…まあ、ラヴェルやドビュッシーってのは言うなれば、縦の線が少々合わなくたって、あれ雰囲気で格好良く聴こえるわけです。ちょっと、ブラームスやシュトラウスだったら、これ…聴いてて、「仙台フィルの方が絶対いいよな」って思ったんですけどね(笑)
仙台って言えばわたしフランスで、小泉さん指揮の、あれは…フランス国立だったかしら。聴きましたけど。
──小泉和裕さんが。
うん。ロストロポーヴィチが、ショスタコーヴィチの2番の協奏曲を…それ聴きに行ったんです。そしたらたまたま小泉さんが指揮で。「火の鳥」なんかやって。「聴きました」って言ったら、「あなた、何してたの?!」って言われまして(笑)その同じ時期に岩城(宏之)さんがパリ管で「展覧会の絵」とか演ってましたけど、それはフルニエがマルティーヌの協奏曲やってたので。岩城さん、パリ管で艶やかな音出して、派手に振ってらっしゃいましたねえ。凄い評判良かった。小泉さんはシャープに。
──(笑)僕は仙台フィルでオペラやると、終わってみんな拍手するじゃないですか。「早く帰りたいんだけどな…」と思うんだけど、やっぱりいつまでもね、カーテンコールやるのにピットの中に居なきゃいけない。パリのオペラ座は、もう、公演終わってしまったら、みんなサーッと居なくなるんですね。
わたしドイツの劇場で働いてたんですが、初日の時は、居ますよね。
──あ、ホントに。
プレミアで。
──あー、ホントに。
あと初日以外はみんな、終わったら帰っちゃう。
──あー、そうかもしれない。
それに、管楽器の人とか出たり入ったりしてますよねー。
──うん、居なくなりますよね。バイロイトなんかでも、ワーグナーで、ずーっと静かな部分があると、トロンボーンの楽譜に「40分間休み」なんて書いてあって、下に行ってサンドイッチ食べてきたとかいう話聞いたことありますよね。
そう。サンドイッチぐらいならいいけどビール飲んだりしてるでしょ(笑)
──あー(笑)それはあるかもしれない。
それでちゃんと戻って来るんですよねえ。
──あとパリのオペラ座観ててね、これカッコイイと思ったのは、一番最初にオーケストラがチューニングするでしょ?するとピットの中で、コンサートマスターじゃなくてオーボエ吹きが立ち上がって、周りをこう見渡しながらA(アー)の音を吹くわけです。あれカッコイイなと思った。
ヨーロッパはオーボエ奏者ってのは重要みたいでね。なんかね、会場のライトなんかがちゃんとしてないとオーボエ奏者がクレーム付けるみたいですよ。「寒い」とか。
──それがオーボエ吹きの性格なんじゃないですかね。
見回して、ちゃんとオーケストラプレイヤーがいい演奏できるように、チューニングも…。あれですよね、仙台フィルも…(笑)
17歳のはじめです。
──うわー。
高校は普通高校に…あまり行かないつもりで入りまして。東京まで(藤沢から)フランス語週3回通って、あとソルフェージュとか、そういうことを…よく早退して通ってました(笑)
──アテネ・フランセですか?
そうです。
──御茶ノ水の。
そう。
──あそこ行くと、芸大附属高校の学生がいっぱいたむろしてて、下のティールームなんかいっぱいいるんですよね(笑)
近くだからねー。
──僕は芸高じゃないんです。僕がどうしてアテネ・フランセへ行ったかというと、大学卒業した年に、アメリカ行くつもりで…。
アテネ・フランセ行ってたんですか?
──アテネ・フランセにはちゃんと英語のコースがあるんです。
あ、それ知りませんでした。
──そこ行って、英語のクラス3ヶ月勉強して、それからニューヨーク行ったんです。
英語、ばっちりでした?
──そんなわきゃないです。それだったら、今こんなに苦労してないです(笑)
わたしも、フランス行って全然分かりませんでした(笑)。
──で、17歳でパリですか。
そうです。最初は、モンマルトの丘に住んでました。サクレクール寺院の上です。
──あのーモンマルトとかサクレクールとか言うと聞こえはいいんだけど、ちょっと治安や風紀の良くない所ですよね。
上はいいんです。
──上はいいの?「ピガール」は?(笑)
わたし、チェロの先生の家に住んでまして、下には「ピガール」とかっていう繁華街。「下りるな!」と言われてました(笑)
──あははは。ムーランルージュ。
そうです(笑)
──ということは、先生は?
レーヌ・フラショー。
──あー、フラショーさん。12区に住んでらっしゃった。
あ、12区ですか。なに区だか覚えてないから…サクレクールの上に住んでました。有名な…。
──テルトリ広場。
…の、ちょっと下のほうです。そこに3ヶ月住んでて、あと、ヴェルサイユ。そっちは宮殿の近く。
──郊外はいいですよね。
うーん、だけど音楽会に行ったりすると、帰ってくるのが大変でしたね。サン・ラザール駅から…。
──地下鉄で帰って来られないから。
そうです。むかし、ポンピドーセンターができた時にガラコンサートがあったんです。シラクとか…有名人がいらしてて、ガラコンサートですから盛装して行かなくちゃいけないんですね。女性は、長いスカートはいてればいいんです。男性は、蝶ネクタイ。長いスカートなんかあの頃子供で持ってなかったから、オーケストラではく黒いスカートに、ブラウスで。それで家に帰ったら足が黒いんですよね。みなさんみたいに車で送ってっくれる人居ないの。…でも素晴らしかったですね、あれは。本当に、映画で観るような雰囲気で。なんで行ったかっていうのは、あの有名なロストロポーヴィチが、パリのオペラ座のオーケストラで3曲、コンチェルトをやったんです。
──へえー。
ハイドンと、ロココと、ドヴォルザーク。完璧でした、完璧!
──オペラ座管弦楽団。
そう。舞台の上で。
──あー、そりゃ大変だ。オペラ座管弦楽団っていつもピットの中に入ってるでしょ?あれステージに上がっちゃうと、舞い上がっちゃって、結構色んなことがある。
なんか個性的なソリストが多いですね、管楽器なんか。ソロで活躍してる方が…。
──一人一人はものすごく上手いんですよ。
そう。だからなんかちょっと目立つような…。
──あー(笑)。よく言えば「目立つ」なんだけど。
変わったオーケストラで(笑)
──オペラ座のオーケストラで日本公演をやった時に、「幻想交響曲」をやったんです、ベルリオーズの。 そうしたら、関係ないとこで、なんか色々飛び出しがあったりね、大変だったっていうんですよ。要するに、「幻想交響曲」ってやったことないの。
慣れてないわよ。
──ヴェルディやプッチーニはOKだけど、フランス人なのに知らないっていうんだ。それにほら、フランスのオーケストラの性格っていうか、団員一人一人が、スコアを読むという習慣がまるで無いでしょ? あれ面白いですよね。
あとストラウスブールにその前住んでたんです。そこにオーケストラがあるんです。ある時リハーサルを聴きに行きまして、びっくりしましたよ。なんか消しゴム投げてる人もいるしねえ、お喋りがすごくてねえ。なんにも聴こえないしね。だけど演奏会だと、素晴らしい音色を出すんですけどね。あのリハーサル見たら日本のオーケストラのリハーサルと全然違うのでびっくりしますね。仙台フィルは真面目ですよね(笑)
──それが普通です(笑)
パリ管も仙台でゲネプロ聴きに行ったら、「シッ!シッ!シッ!」ですよ(笑)
──パリ管のCDってなんでベートーヴェンやブラームス無いんだろう?ってずっと子供の頃から思ってたんですよ。それがパリに行って、色んなオーケストラ聴きに行くと、「あ、なるほど」って分かりました。パリ管にしろフランス国立にしろ、ブラームスとかシュトラウスとか、そういうプログラムも当然あるわけです。年がら年中ラヴェル、ドビュッシーやってるわけじゃないんだから。だけど「英雄の生涯」なんてあるでしょ?最初チェロとホルンがユニゾンのところがあるじゃない。ティーララータララララって。何小節か経ってから、ホルンが「おっ、これって、チェロとおんなじだったの?」って。全然ズレまくり。
フフフフ。
──…後期ロマン派のうねりのようなものも無いし、低音からズギーッっと来るようなサウンドも無くて、なんか高いところで「ほにゃほにゃほにゃほにゃ」って言ってるだけなんですよね。縦の線も全然合ってないし。ブラームスも同じ。だから…まあ、ラヴェルやドビュッシーってのは言うなれば、縦の線が少々合わなくたって、あれ雰囲気で格好良く聴こえるわけです。ちょっと、ブラームスやシュトラウスだったら、これ…聴いてて、「仙台フィルの方が絶対いいよな」って思ったんですけどね(笑)
仙台って言えばわたしフランスで、小泉さん指揮の、あれは…フランス国立だったかしら。聴きましたけど。
──小泉和裕さんが。
うん。ロストロポーヴィチが、ショスタコーヴィチの2番の協奏曲を…それ聴きに行ったんです。そしたらたまたま小泉さんが指揮で。「火の鳥」なんかやって。「聴きました」って言ったら、「あなた、何してたの?!」って言われまして(笑)その同じ時期に岩城(宏之)さんがパリ管で「展覧会の絵」とか演ってましたけど、それはフルニエがマルティーヌの協奏曲やってたので。岩城さん、パリ管で艶やかな音出して、派手に振ってらっしゃいましたねえ。凄い評判良かった。小泉さんはシャープに。
──(笑)僕は仙台フィルでオペラやると、終わってみんな拍手するじゃないですか。「早く帰りたいんだけどな…」と思うんだけど、やっぱりいつまでもね、カーテンコールやるのにピットの中に居なきゃいけない。パリのオペラ座は、もう、公演終わってしまったら、みんなサーッと居なくなるんですね。
わたしドイツの劇場で働いてたんですが、初日の時は、居ますよね。
──あ、ホントに。
プレミアで。
──あー、ホントに。
あと初日以外はみんな、終わったら帰っちゃう。
──あー、そうかもしれない。
それに、管楽器の人とか出たり入ったりしてますよねー。
──うん、居なくなりますよね。バイロイトなんかでも、ワーグナーで、ずーっと静かな部分があると、トロンボーンの楽譜に「40分間休み」なんて書いてあって、下に行ってサンドイッチ食べてきたとかいう話聞いたことありますよね。
そう。サンドイッチぐらいならいいけどビール飲んだりしてるでしょ(笑)
──あー(笑)それはあるかもしれない。
それでちゃんと戻って来るんですよねえ。
──あとパリのオペラ座観ててね、これカッコイイと思ったのは、一番最初にオーケストラがチューニングするでしょ?するとピットの中で、コンサートマスターじゃなくてオーボエ吹きが立ち上がって、周りをこう見渡しながらA(アー)の音を吹くわけです。あれカッコイイなと思った。
ヨーロッパはオーボエ奏者ってのは重要みたいでね。なんかね、会場のライトなんかがちゃんとしてないとオーボエ奏者がクレーム付けるみたいですよ。「寒い」とか。
──それがオーボエ吹きの性格なんじゃないですかね。
見回して、ちゃんとオーケストラプレイヤーがいい演奏できるように、チューニングも…。あれですよね、仙台フィルも…(笑)