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プログラムノート(第375回定期演奏会)
2024-09-02
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
モーツァルト(1756~1791)交響曲第40番 ト短調 K.550
作 曲  1788年7月25日(自筆目録への記載日)
初 演  不明

 楽の音と自在に戯れるモーツァルト。天衣無縫の転調に驚く。
 1788年の6月から8月にかけて、32歳のモーツァルトは、たて続けに3つの交響曲を書く。自筆目録に記されたデータによれば、交響曲第39番変ホ長調K.543が6月26日、交響曲第40番ト短調K.550が7月25日、そして交響曲第41番K.551「ジュピター」が8月10日に完成している。
 なおモーツァルトの時代、モーツァルト作品を年代順にカウントしたルートヴィヒ・フォン・ケッヘル(1800~1877)によるケッヘル目録Köchelverzeichnis(KまたはKV表記)は存在しないが、本解説では便宜的に使用している。
 さて、3部作と見なせる一連のシンフォニー。創作の背景、目的は例によってと言うべきだろうか、分かっていない。
 実現しなかったロンドン演奏旅行への手土産として創られたのだろうか。いや、少し前に楽譜が刊行されたハイドンの交響曲第82番ハ長調「熊」、第83番ト短調「めんどり」、第84番変ホ長調(ハイドンの、いわゆるパリ交響曲の最初の3曲、出版順は別)から刺激を受けたか。ハイドンの調性にご注目あれ。
 交響曲第40番にはクラリネットを含まない第1稿と、今回演奏されるクラリネット2本を追加しフルートとオーボエのパートに手を施した改訂稿/第2稿が存在し、それぞれスコア化されている。加えて第2楽章の差し替え稿に基づく(クラリネットなし)のスコアも刊行された。モーツァルトの時代、改訂稿や差し替え稿は演奏会に向けて作成される。その演奏はいつどこで?
 初演についても分かっていないが、モーツァルトにバロック音楽の技法、とりわけフーガの様式を授けたとされるゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵(1733~1803)の館で演奏されたのでは、との論文が10数年前に発表され、研究者のあいだで大いに話題となった。
 2011年、ドイツやオーストリアでも名を知られるプラハ・カレル大学のミラダ・ヨナーショヴァー博士が、モーツァルトが亡くなって11年後の1802年夏に書かれた一通の手紙を発見したのだ。
 プラハ聖ヴィート大聖堂のオルガニストでモーツァルトの交響曲を鍵盤音楽に編曲していたヨハン・ヴェンツェル(1761~1831)が、ライプツィヒの楽譜出版商キューネルに宛てたドイツ語のビジネスレターの一部に驚くべき記述があったのである。
「亡きモーツァルトから聞いた話なのですが、ヴァン・スヴィーテン男爵邸でのト短調交響曲(第40番)の演奏がひどかったため、怒ったモーツァルトは部屋から出て行ったそうです」。
 かつて外交官としてベルリンに駐在したヴァン・スヴィーテン男爵は、かの地からバッハ一族やヘンデルの楽譜を持ち帰り、それらを適宜ウィーン流に編曲。そんな自己流スコアを用いた日曜音楽会を主宰していた。モーツァルトは1782年以降その日曜音楽会に足繁く通い、とりわけフーガへの関心を高めていたのだった。
 この奇蹟のシンフォニーが、同男爵邸で初演または再演されたのではないかとの説は、ある種の説得力をもつ。いっぽう、クラリネットを含む稿による演奏が1791年春にブルク劇場で行なわれ、その公演にはサリエリが関わったという説も存在する。
 モーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467の第1楽章に、この交響曲の第1楽章を「予告」する短調の調べがさりげなく織り込まれている。意図ではなく偶然だろうけれども。またシューベルト若き日の交響曲第5番変ロ長調との「つながり」も私たちを喜ばせる。シューベルトはモーツァルトの交響曲第40番ト短調を思い浮かべながら、交響曲第5番の第3楽章メヌエットを(変ロ長調の平行調の)ト短調で紡いだのかも知れない。夢や連想は広がるばかりだ。

第1楽章 モルト・アレグロ ト短調
第2楽章 アンダンテ 変ホ長調
第3楽章 メヌエット:アレグレット ト短調、ト長調
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・アッサイ ト短調
チャイコフスキー(1840~1893)交響曲第5番 ホ短調 作品64
作 曲  1888年5月~8月
初 演  1888年11月17日(ロシアの旧暦では11月5日)サンクト・ペテルブルク
     チャイコフスキー指揮 サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー協会の公演

 序奏でクラリネットが奏でる、ほの暗い、しかし何かを内に秘めたかのような主題にご注目を。「主題」の箇所は「モットー主題」またはモティーフ、動機でも構わない。
 モットーとは、楽曲の開始部または重要な局面に現れ、曲全体を統一する、もしくは統一感を与える楽節、動機のこと。ハ短調からハ長調への転換も楽器法も鮮やかなベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭動機を挙げるまでもない。愛妻クララ(C-H-A-Aド・シ・ラ・ラ)を表わす4音も印象的なシューマンのピアノ協奏曲も、ある意味、特定のモットー主題に基づく佳品だ。
 いっぽうドイツ・オペラの巨人ワーグナーは、登場人物およびその感情や行動、ドラマ展開上の出来事を映し出すライトモティーフ(示導動機)を駆使し、気宇壮大な音絵巻を創り上げた。なおチャイコフスキーは1876年夏、ドイツのバイロイトで開催されたワーグナー芸術の祭典、第1回バイロイト音楽祭に招かれ、4つの長篇楽劇から成る「ニーベルングの指環」の初演を体感している。

 ロシア音楽界のみならず、19世紀ロマン派屈指のメロディメーカー(旋律作家)だったチャイコフスキーは、短い楽節とも訳せるモットー主題に、息の長い旋律性を授けるとともに、そのモットー主題の回帰法に意を尽くした。
 動機/主題の回帰、循環に関しては、フランスの鬼才ベルリオーズの「幻想交響曲」の根幹を成すイデー・フィクス(固定楽想)からヒントを得たようである。チャイコフスキーは1867年、27歳の年にモスクワで「幻想交響曲」を聴き、その10年後に書いた交響曲第4番ヘ短調 の両端楽章に、金管のファンファーレを交えたモットー主題を添えた。続いてバイロンの劇詩に基づく1885年の「マンフレッド交響曲」で、悲劇の主役マンフレッドを特定のモットー主題で描き尽くした。
 余談だが、チャイコフスキーが刺激を受けたと思われるベルリオーズの「幻想交響曲」が、1830年暮れにパリ音楽院ホールで初演されたという史実にいつも驚く。ベートーヴェンがウィーンで亡くなってからまだ3年しか経っていない。

 さて、五線譜に#シャープ記号一つ、スラヴ系の作曲家が愛したホ短調(ト長調の平行調)を基調とする交響曲第5番創作の経過は、弟のモデストやパトロンのナジェジダ・フォン・メック(通称メック夫人)に伝えられている。さらに作曲家は日記に次のように記した。
「交響曲、第1楽章の表題。序奏。運命への完全な服従。あるいは神の摂理が示す、不可解な運命への服従」。キーワードは「運命」だ。
チャイコフスキーは「運命」という言葉を好んだ作曲家である。
 前作の第4番から約11年後に書かれた交響曲第5番で、その「運命の主題」は姿や形を変えながら現れる。たとえば、第2楽章なかほどでは金管楽器が雄々しく劇的に「運命の主題」を吹き、音楽的な山場を築く。第3楽章の終わり近くではクラリネットとファゴットが実にさりげなく「運命」に寄り添い、第4楽章の序奏では弦楽合奏がホ長調で堂々と、演奏によっては荘厳に「運命の主題」を奏でる。
 チャイコフスキーと言えば、曲名にもなった「アンダンテ・カンタービレ」(オリジナルは、ウクライナの民謡をベースとした弦楽四重奏曲第1番の第2楽章)というイタリア語表記を愛でた作曲家だが、ホルンの夢幻的なソロを生かした交響曲第5番の第2楽章がまさにアンダンテ・カンタービレ。
 また聴き手を芸術的な魔境に誘う旋律ならば、第1楽章のなかほどでヴァイオリンが奏でる、麗しいニ長調の調べ(モルト・ピウ・トランクィロ)も忘れがたい。作曲者が語るように、第1楽章なかほどのニ長調の展開は、何らかの信仰心の現れかも知れない。ここでテンポをぐっと落とし、フレーズを愛撫するかのように歌う指揮者もいる。
 第3楽章は交響曲定番のスケルツォではなく、バレエ音楽をこよなく愛したこの人らしくワルツだ。摩訶不思議な郷愁を漂わせたワルツはチャイコフスキーのお家芸である。
 アンダンテ・マエストーソ、ホ長調の弦楽合奏で始まる第4楽章は、ほどなくアレグロ・ヴィヴァーチェ、ホ短調の烈しい楽想へ。作品と演奏に尽くす弦楽器のダウンボウ(下げ弓)の連続も客席の喜びとなる。音楽はニ長調、ハ長調のハーモニーを経て、終盤には、曲のエンディングを匂わせるファンファーレ風の響きがティンパニの連打を伴い、熱く届けられる。
 しかし音楽は終わっていない。「偽終止」の一種で、ハーモニーも響きもまだ「解決」しておらず、空に放たれたままだ。圧巻のグランド・フィナーレはまだ先とは、チャイコフスキーも芸が細かい。
 交響曲の冒頭を彩った「運命の主題」があたかも勝利の行進曲のように回帰、いや凱旋するそのコーダ(終結部)で、小林研一郎、仙台フィル、私たち聴き手は、一期一会の環を創り、ライヴの凄み、高みを体感することだろう。 
 大向こうをうならせるコバケン84歳のタクト。主音の連打(ペザンテ気味だろうか)で“運命のドラマ”が烈しく刻印、閉じられるまで、聴きどころは尽きない。

第1楽章 アンダンテ~アレグロ・コン・アニマ(コン・アニマは、生き生きと、魂をこめて) ホ短調
第2楽章 アンダンテ・カンタービレ、コン・アルクナ・リチェンツァ(コン・アルクナ・リチェンツァは、多少の自由さをともなって) ニ長調
第3楽章 ヴァルス(ワルツ)、アレグロ・モデラート イ長調
第4楽章 フィナーレ、アンダンテ・マエストーソ~アレグロ・ヴィヴァーチェ ホ長調
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