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プログラムノート(第376回定期演奏会)
2024-10-09
カテゴリ:読み物
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奥田 佳道(音楽評論家)
メンデルスゾーン(1809~1847)
序曲「美しいメルジーネの物語」 作品32
作   曲 1833年11月、1835年(改訂)
初   演 1834年4月7日ロンドン、イグナーツ・モシェレス指揮ロイヤル・フィルハーモニック協会
改訂稿初演 1835年11月23日ライプツィヒ、クリスティアン・ゴットリープ・ミュラー指揮ゲヴァントハウ
      ス管弦楽団

 クラリネットを中心とした木管楽器の流れるようなアンサンブルが聴こえてくる。分散和音の響きが、穏やかな海と海の精メルジーネ(メリュジーヌ)を描く。悲劇や心の葛藤に通じる烈しい展開も添えられた。水の描写は、ワーグナーの「ラインの黄金」(1854年作曲)の冒頭、ラインの河底の場面に、さて何かを授けたか。

 タイトルは独語Das Märchen von der schönen Melusine、英語The Fair Melusine──19世紀初頭から、特にドイツ語圏で愛されていた海の精(人魚姫)と人間の哀しくも美しい恋物語、いわゆるメルジーネ伝説をベースとした演奏会用の序曲である。メンデルスゾーンは1833年、24歳の年にベルリンでコンラディン・クロイツァー(1780~1849)の歌劇「メルジーナ」を観た。台本をオーストリアの劇作家フランツ・グリルパルツァー(1791~1872)が手がけた話題作だったが、クロイツァーの音楽を好きになれず、ならば自分でこのロマンティックな物語に基づく演奏会用の序曲を書こうと思い立つ。4つ上の姉ファニー・メンデルスゾーン(1805~1847)への誕生日プレゼントでもあった。
 交響詩にも通じるこの序曲は、メンデルスゾーンの活動に何かと手を差し伸べたピアニストで作曲家のイグナーツ・モシェレスの指揮により1834年にロンドンで初演。翌年改訂され、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のレパートリーとなった。メンデルスゾーン自身も指揮している。
交響曲第4番 イ長調 作品90 「イタリア」
作 曲 1830年~1831年(着想)、1832年~1833年
初 演 1833年5月13日ロンドン、作曲者自身指揮のロイヤル・フィルハーモニック協会

 南国イタリアの陽光や舞曲の喜びはもちろんのこと、作曲家の繊細な心情をも映し出す交響曲を聴く。逸品だ。
 19世紀ドイツ・ロマン派の時代を駆け抜けたメンデルスゾーンは1830年末から翌年春にかけてイタリア旅行を行ない、かの地のすべてに魅了された。ドイツ北部の港町ハンブルクに生れベルリンなどを拠点にしていた彼にとって、イタリアの冬は明るく、すべてが生き生きと、まぶしく映ったのである。
 このシンフォニーは古都ローマ滞在中に着想され、ほどなく骨格が出来上がったようである。しかし創作はほどなく中断してしまう。
 1832年の晩秋、かねてから親しい関係にあったロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会から交響曲や序曲を委嘱され、中断していた交響曲の創作をベルリンで再開する。曲は1833年春に完成し、同年5月に作曲者自身の指揮によるロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会の定期公演で初演された。なお1813年に創設された同協会はベートーヴェン、ベルリオーズ、ワーグナー、サン=サーンス、ドヴォルザークとも関わった歴史的な音楽機関である。
 ロンドンでの初演は好評を博したようだが、納得がいかなかったのか、メンデルスゾーンは出版を意識し何度も改訂を施す。悩める天才ゆえの推敲(すいこう)と言うべきだろう。
 しかし改訂は終わらず。結局「イタリア」は、1833年5月のロンドン初演稿を基にメンデルスゾーンが亡くなってから4年後の1851年に出版され、交響曲「第4番」作品90となった。出版の2年前に演奏はされている。
 近年は、メンデルスゾーンが1834年6月から翌年にかけてデュッセルドルフで第2楽章以下を改訂した、いわゆる1834年稿に基づく楽譜も指揮者クリストファー・ホグウッド(1941~2014)らの尽力によって刊行され、そのヴァージョンでの演奏や録音を聴くことも出来る。
 しかしその改訂稿が作曲者の本意で音楽的な質も高いかと言えば、そんなことはない。優れた作曲家でもあった姉ファニー・メンデルスゾーンも、1834年夏の手紙で、弟の改訂に納得していない旨を記した。国際的な音楽学者でメンデルスゾーン研究の泰斗(たいと)である立教大学教授の星野宏美氏も、1834年の改訂稿について「(演奏を目的とした)楽譜としては不完全」と見なした。改訂の過程を示す資料としては存在価値があるということだろうか。
 つまり「イタリア」に関しては、書き直す前の楽譜、音楽に分があるのだ。
 興奮を誘う南イタリアのサルタレッロ舞曲とタランテラのリズムに彩られた第4楽章に驚く。メンデルスゾーンは熱き舞曲にフーガの要素を添え、何と短調で音楽を疾走させているのだ。
 この交響曲についてではないが、メンデルスゾーンの盟友でもあったロベルト・シューマン(1810~1856)の言葉を添えておく。
「メンデルスゾーンは私たちの時代(19世紀)のモーツァルトである。彼は、私たちの時代の矛盾をくっきりと見通し、しかしそれらを和解させた初めての人物である」

第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調
第2楽章 アンダンテ・コン・モート ニ短調
第3楽章 コン・モート・モデラート イ長調
第4楽章 サルタレッロ:プレスト イ短調
交響曲第3番 イ短調 作品56 「スコットランド」
作 曲 1829年7月(第1楽章序奏の着想) 1841年~1842年 その後改訂
初 演 1842年3月3日ライプツィヒ、ゲヴァントハウス会館ホール 作曲者自身指揮のゲヴァントハウス管弦楽団

 60小節を超える味わい深い序奏から第4楽章の壮大なコーダ(終結部)まで、すべてが素晴しい。
 曲の始まりと終わりが、あたかも弧を描くかのように結ばれた交響曲の逸品を聴く。
 
 1829年初夏のロンドン公演(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番ロンドン初演のソリスト他)を成功のうちに終えた二十歳のメンデルスゾーンは、スコットランド地方の中心都市エディンバラを訪れた。悲劇の女王メアリー・ステュアート(1542~1587)ゆかりのホリールードハウス宮殿の佇まいに感銘を受け、ベルリンの家族に宛て次のような文面をしたためる。
「深い黄昏の中、私たちは今日、女王メアリーが人生を送り、愛を営んだ宮殿に行きました。(中略) 宮殿脇の礼拝堂には今は屋根がなく、草や蔦(つた)が生い茂っています。今は壊れてしまったその祭壇で、メアリーはスコットランド女王に戴冠されたのです。すべてが壊れ、朽ち、そこに明るい光が差し込んでいました。
 私は今日ここで、私のスコットランド交響曲の始まりを見つけました」(1829年7月30日)。
 その日の夕方、メンデルスゾーンはイ短調、4分の3拍子、16小節のスケッチを書く。まごうことなき交響曲第3番「スコットランド」の萌芽である。
 このスケッチが第1楽章冒頭の序奏に、ほとんどそのまま移されるのだが、交響曲の創作に打ち込むのは、それから12年後の1841年夏のこと。総譜は翌1842年1月に完成する。
 
 前掲データに記したように、曲は1842年3月3日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で初演される。メンデルスゾーンは同年6月13日のロンドン初演でもタクトを執り、喝采を博す。作曲者このとき33歳。
 しかし例によってというべきか、完璧主義者の彼は改訂という名の旅に出る。
 ライプツィヒでの初演後、まずは2週間後の再演に向けて結構な改訂を施す。しかしその再演を指揮したのはカール・バッハという別の指揮者で、会場に居合わせなかったメンデルスゾーンは改訂の成果を確かめられなかった。
 そうこうしているうちに、1842年6月のロンドン初演で使用されたオーケストラ総譜とパート譜も行方不明になってしまう。けれどもこちらの楽譜も交響曲第4番「イタリア」の改訂稿同様、ほぼ全容が明らかになった。立役者は前述の星野宏美氏。彼女は2000年、大英図書館に長らく所蔵されていた筆写総譜が、1842年6月のロンドンでの演奏形態を記録していることを突き止めたのだった。
 ちなみに、現行版の「スコットランド」よりも烈しさが際立つ<1842年ロンドン初演稿>(第1楽章、第4楽章は小節数も多い)は2005年に刊行が始まった新メンデルスゾーン全集に組み入れられ、実に163年ぶりに陽の目を見る。録音も登場した。しかしその<1842年ロンドン初演稿>が、メンデルスゾーンの最終結論というわけではない。
 この滋味あふれる交響曲は紆余曲折の末、1843年、女王陛下への献辞とともに出版された。メンデルスゾーンは同年1月、それに1847年2月に、彼のオーケストラだったライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で指揮している。ヒラー、ゲーゼ、ユリウス・リーツ、ライネッケ、ニキシュら19世紀半ば以降の歴代ゲヴァントハウス・カペルマイスター(首席指揮者)も取り上げた。
 
 スコットランド民謡へのオマージュも織り込まれた。楽の音の粒子が、軽やかに、かつ烈しく飛び交う第2楽章の精妙な創りに驚く。メンデルスゾーンのスケルツォは、いつだって絶品だ。
 第3楽章の息づかい、叙情がまた奇蹟。主調は長調だが、葬送行進曲風の調べも舞う。
 最終第4楽章をメンデルスゾーンは「戦いのアレグロ」と呼んだ。交響曲第4番「イタリア」の第4楽章同様、短調で音符を疾走させる天才がここにいる。
 楽章間は続けて演奏される。
 
1楽章 アンダンテ・コン・モート~アレグロ・ウン・ポーコ・アジタート イ短調
2楽章 ヴィヴァーチェ・ノン・トロッポ ヘ長調
3楽章 アダージョ イ長調
第4楽章 アレグロ・ヴィヴァチッシモ~アレグロ・マエストーソ・アッサイ イ短調~イ長調
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